何となくだったわけじゃなかった。
それでも、そういう気持ちを理解していたわけでも、ましてそういった気持ちを炎山に持っていたわけでもなかった。
ただ、そう告げてきた炎山の目が恐ろしく真剣だということ以上に、傷ついているように、怖がっているように見えたから、断れなかった。それに、断ったことで炎山の側にいなくなってしまうかもしれないことが、炎山が俺の側から消えちゃうかもしれないのが怖かった。嫌だった。
あとはただ、炎山の一等とくべつが自分で、自分の一等とくべつが炎山だっていう関係を嫌だと思わなかった、思えそうもない、という自分の直感を信じただけだった。
そして実際、抱きしめられることもキスされることも嫌じゃなかったし、案外心地よかった。
けれど、ただそれだけだった。
ただ、それだけ。
【潦水に覚ゆ】
頭のズキズキと鈍く重たい体に意識が覚めていく。風邪ひいたんだっけ、と頭でぼんやり考えて、ゆっくりと目を開ければ天井が見えてきた。寝起きのせいか風邪のせいか、滲んではっきりとはしない視界に何度か瞬く。
そうしていると、ふと横でごそ、という音と共に人の動く気配がした。ママかなと思い横へ向けようとした顔に、それより早く上から覗き込んできたのは、ここにいるはずのない人物だった。
「起きたのか?」
「………えんざん?」
声は音として入ってきただけで意味を捉えることが出来ない。うまく回らない頭は、予想もしなかった現実にうまく対応しないまま瞬きばかり繰り返す。なんで、とそれでも聞こうとした言葉は、額に乗せられた手に遮られた。
「まだ随分高いな。」
「、あ、」
「なんだ?水か?」
違うと目で訴え、それを炎山は受け取りながらも、取りあえず飲めとコップを手に取る。それを体を横に倒しながら受け取り、そのまま飲んだ。前にそうしたときに行儀悪いよ、と怒ったロックマンが浮かんだ。けれど、風邪の時には何も言わないだろうなと勝手に決着をつける。そこでやっと気がついた。ロックマンはどこだろう。さっきから声が聞こえない。寝る前は確かにすぐ近くにいて、お休みと声をかけてくれたのに。
「なんで炎山がここにいるんだ?あと、ロックマン知らないか?」
ふぅと息をついたあとに一気に尋ねる。なんだか、水を飲んだことで少し頭がすっきりしたみたいだった。体も水を求めていたようで、ちょっとだけだったつもりが結局全部飲みきってしまっていた。熱い体に染みていく冷たい水がひどく心地いい。
「なんだ。いきなりよく喋るようになったな。」
「たぶん水のおかげ。は、よくて質問に答えろよ。」
「ロックマンならはる香さんに頼まれて台所だ。」
「そっか。」
ママと一緒だったのか。それを聞いて安心する。そのとき抜けた力の大きさで、変に大きく心配していたことに気がついた。家の中で危険な目にあったりするなんてこと、無いはずなのに。
重たい体を起こして空になったコップを渡す。僅かにしかめられた眉が、起きたことを指していたことは何となく分かったけれど、体がすっきりしたら寝てばかりが嫌になったんだよ、と心の中だけで言い訳する。炎山だって直接口に出したわけではないからいいだろう。
「それで、炎山は何で?」
「今日取引先の都合で会議が中止になって、急に一日オフになったんだ。この前、約束を破ってしまっただろ。だから、今日はその穴埋めをしようと思ったんだ。それでロックマンに連絡すれば、お前は風邪で寝込んでいると聞いてな。」
だから見舞いに来たんだ。って笑う炎山がなんだかいつもより綺麗に見えた気がしてちょっとだけ目を逸らす。
わからない。今日はなんだかいちいち全部が大きい。風邪のせいなんだろうか。
「いつまで家にいるんだ、炎山。」
「特に時間は決めてはいないな。」
「ふぅん。」
炎山にしては曖昧だな、と思う。いつだってきっちりしてるイメージが強いから、なんだか不自然だ。
「ほら、寝てろ。まだ熱高いんだぞ。」
「いいよ。もう目、覚めちゃったし。」
「じゃあ、せめて横になってろ。それだけでも大分違うんだ。」
肩を軽く押されるままに再びベッドに戻される。まだ平気なのに、とふてくされて炎山へと向けた目が、炎山の顔に心配のような悲しいようなものを見た気がして、よく分からないもやもやした気持ちがへそ曲がりの気持ちを消してしまった。
「全く。風邪の治り時に無理すると治りが遅くなるんだぞ、熱斗。」
そんな俺の心情を知るわけもない炎山は、さっきの顔の名残も残さずため息と共にあまりに呆れた顔をするものだからなんだかイライラとしてしまって、ぽろっと漏らしてしまった。
「だって炎山いつ帰るかわからないんだろ。だったらたくさん喋っときたいじゃん。」
言ってから、しまったと感じた。
別にそう思ってなかったわけじゃなかったけれど。約束通りに会えなかったせいで、随分長いこと会えてなくてたくさん話したいことがあったのは本当だ。しばらく会えなかったときはそうしたりすることが多いのはいつもで。それは炎山だって知ってるはずで。
なのに今それを言ったのを失敗したと思ったのは、それを聞いた炎山が驚いた顔を見せたそのあとすぐに意地悪げに笑ったのと、風邪のせいで少し弱くなった心のせいだ。
「なんだ、俺に会えなくて寂しかったのか、熱斗。」
意地悪につり上がった口が紡ぐ台詞。からかってるんだって分かった。分かってた。そういう響きを含んでいたし、顔がそう言っていた。なのに、なのにいつものように笑い飛ばせない。
ちがう。きっと、だから。
からかいの言葉の、寂しい、が妙に耳について感情を刺激する。それがかっと頭に血を上らせて、ぐるっと炎山から遠ざかるように180°体を横へ向けさせた。勢いづいた行動は、さらに熱くなった頭に悪く、ひどい痛みを訴え出した。それがなんだか情けなくて、目の奥が熱くなっていくのを感じた。もしかしたら、悔しいのかもしれなかった。
肩まで上げられた毛布を強く握りしめてもどうしようもない何かを、和らげてくれたのは俺をこうした本人だった。
「まぁ、風邪の時は人が恋しくなるものだからな。」
さっきとは打って変わって優しげな声が後ろから聞こえてきて、肩が揺れてしまった。それに続いて撫でれられる頭が、すごく気持ちいい。
「俺でいいなら側にいてやるから。起きるまでちゃんと。」
だから寝てろ、と最後まで優しい声に、顔を振り向かせる。そうすれば、やっぱり優しく笑ってる炎山にまた泣きたくなった。さっきとは、全然違う風に。
(今俺、きっとひどいこと思ってる)
だから、よかった。今ロックマンがいなくて。
いつだって、俺の側にいてくれて、助けてくれて、心配してくれて、そんなロックマンには、知られたくなかった。
いつだって、嬉しいと思ってる。そうあることが当然だってことが。
なのに。
(炎山に俺の側にいて欲しいって思ってる)
本当は、ひどい風邪だって気がついて、寝込んだときにも、ふと掠めたんだけど。すぐに寝ちゃったからあまりここまで求めはしなかったけど。
優しい笑顔に誘われるように手を伸ばせば、やっぱり優しく掴んで握ってくれる。もしかしたら、今度この行動をさっきみたいにからかわれるかもと少し思ったけれど、なんだかもうそれでもいい気がした。今、こうやって俺の手を握っていてくれるなら、それで。それに、炎山はそんなことしないだろうなっていう思いが強かったからというのもあるけれど。
(けど、なんでだろう、)
風邪で頭はぼーっとしてて、炎山が恋人だってことにまで頭がさっぱり回らなかったはずなのに。それでもこの瞬間。このわけもない寂しさを和らげるのは、炎山であって欲しかった。他の誰でもない炎山に側にいて欲しかった。
ロックマンでもママでもパパでもなく、炎山に。
だから、こうやって手を握って、大丈夫だって言うみたいに柔らかく笑って、頭を撫でてくれてることが、なんだか涙がでてきそうなくらいに嬉しかったんだ。
もしかしたら、これが炎山のいう好きっていう気持ちなのかなって思ったらすっぽり何かに納まる感じがして。
ああそうなんだって思ったところで、意識が落ちた。
握られた左手の温度を感じながら。
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