忍/綾+滝
【戯れ】
背筋をまっすぐと伸ばして机に向かっている彼は、ゆらゆら揺らめく蝋燭に照らされている様を見なくとも真剣なんだろうことは知っている。やっているのはなんだろうか。今日の復習かそれとも明日の予習か。もしかしたら違うことを勉強しているのかもしれない。
私は寝る準備も万端に、布団のうえからそんな彼を見ていたのだけれど、ちょっと離れている距離がなんだか憎くてすりすりと四つん這いで近づいた。
「滝ちゃん、」
「どうかしたのか。」
視線は本から動きはしなく、こちらを振り返ってくれるわけではないのだけれど、面倒くさがらずにきちんと返事をしてくれるのが嬉しい。
「くっついてたら邪魔?」
「それだけならば平気だ。」
それだけならな、と念を押すようにもう一度告げてすぐに、滝ちゃんはかたりと音を立てて書き物を始めてしまったから、そう、という私からの小さな返事が彼に届いたかは分からない。けれどそんなことはどうでもよくて、了承は得たのだからと、滝ちゃんと背中合わせに座った。何かを書く度に動く微かな振動や、触れ合ったところから伝わる彼の体温が心地よい。時折首筋に触れるさらさらの髪を、後ろ手でそっと掴んでみればひんやり冷たく気持ちよい。別に意味はなかったのだけれど、えいとそれを引っ張るのはいけなかったのだ、ということを、こら、という声で思い出した。
「あ、ごめん。」
「おまえなあ、さっきくっついてるだけと言っただろうが。」
「うん。だからごめん。」
まったくおまえは、と低く呟いて滝ちゃんはまた机へと向かってしまった。それをつまらないな、と思いながらも少しの満足感でしばらくは我慢することにした。
のだったけれど、背中の体温がすっかり滝ちゃんと同化してしまった頃、そうしていることに飽きてしまって、返事を期待しないで今日あったことを滝ちゃんに教えてあげた。
やはり滝ちゃんは返事をしたりはしなかったけど、そのかわり私を止めることもしなかった。
「今日もたくさん掘ったよ。それに何人か落ちたみたいだった。」
けれど、何故かこの出来事には反応するのを止められなかったみたいで、ぴくりと肩を僅かに揺らした後に大袈裟ともとれるほど大きなため息を吐いた。
「そうか。きっとそのうちの一つは金吾だな。委員会の最中に落ちていた。」
彼の委員会活動を思えば、先のため息も大げさではなかったみたいだ。今日も泥だらけになって帰ってきていたのを思い出す。委員会後の彼は、いつもの自信たっぷりな様子を繕うことのできないほどに満身創痍になってしまっている。
私だったらそんな委員会は入りたくないな、と思うのに、そのことを話す滝ちゃんの声は、内容に反してひどく穏やかで、あまり聞きたくない。
「まぁ、おまえの作る蛸壺にはまらなくなるほどになれば、普通の罠にはかからないほどに目敏くは成れるかもな。」
そんな私の心中を滝ちゃんは察してくれることもなく、やはり穏やかな声で続けた。きっと微笑んでいるのだろうことも何となく分かった。
このような様子を他の生徒が見たらきっと驚くのだろうな、とふと思った。
自慢話や高飛車な態度ばかりを知っている人は皆、それ故に彼を敬遠する。けれどそれは、みんなよりもずっとずっと多くの努力を惜しまずして身につけていったものたちに裏付けされてこそだ。彼は嘘を全く吐いていなくて、本当に、すごいのだ。自ら誇示している髪は一本一本が絹糸のようになめらかだし、顔だってくの一に混じってもそうそう張り合える者がいないだろうほどに美人だ。だから実力にしても容姿にしても他より秀でていることは本当だと思うのに、どうして他の忍たまたちは胡乱にするのだろうか。ただ悔しいなら勝る努力をすればいいのに。どこぞの忍たまが性格はかすだって言ってたのだって、そんなことはないのに。目上には礼儀正しいし、面倒見だってとても良い。それに、優しいのに。
何でみんな、滝ちゃんのこと、よく知りもしないくせに、ひどいことばかり。滝ちゃんが気にするなら皆蛸壺に落としているところだ。
本当は、そういうことを知ってるのは私だけでいいのだという独占欲が、しかも質の悪いことに相当に強いそれを持っていることを否定はできないのだけれども。
それでも腹が立つものは立つ、と苛立ちを晴らすために八つ当たりしたのは滝ちゃんの髪の毛にで、今度こそ彼にひとつ頭を叩かれた。