守りたいと思った。たとえ、今はまだ届かなくとも。
いつかきっとこの人を。
【先を行く人】
七松先輩がここまで来たら一端休憩、と叫ぶ声がどこか遠くから聞こえた。その声の遠さに一瞬途方に暮れ、けれどすぐに気持ちを切り替えることはできた。遠くとも何でも休憩が出来るならもう少し。
少し先に見える四郎兵衛先輩の背中を必死になって追って行けば、思ったよりも早くその場に辿り着くことが出来、もう限界だった足はあっという間に崩れ落ちた。先に着いていた先輩達は、少し奥の方ですでに束の間の休憩に身を沈めながら水を飲んでいた。その休憩陣の中に上級の二人が見えなくてきょろきょろあたりを見回す。次屋先輩が無事にいるということは滝夜叉丸先輩はいるはずだし、七松先輩だってさっきここから叫んでいたはずだ。
「私はここだ、金吾。」
「あ、滝夜叉丸先輩。」
森の方から一声。草むらを分けて出てきたのは滝夜叉丸先輩だった。こっちに向かってくる先輩の姿も僕たちほど、とはいかなくとも土にまみれているのにそれに比例するほどの疲れは見せていない。やっぱり四年生はすごい。それとも滝夜叉丸先輩がすごいのだろうか。
あれ、と思ったのは隣に七松先輩の姿が見えなかったからだ。それを問おうと口を開いたら、それを滝夜叉丸先輩に先に制された。
「因みに七松先輩は私たちが休憩している間そこら辺を走っているそうだ。」
嫌そうに顔を歪めながら。
聞いてしまった僕も、なんとなく遠い目をしてしまう。あの人の体力はどこから湧いているのだろうか。むしろ涸れないのだろうか。
はぁとため息を吐き、うなだれた頭を上げようとしたときにふと目についたのは緑色の草。少し手に握られたそれはまだ真新しく摘まれたばかりのようだ。
「あれ、先輩。その手の草、なんですか。」
「ああ、これか。これは薬草だ。四郎兵衛に摘んできたのだ。」
「四郎兵衛先輩怪我したんですか?」
「軽くだがな。四郎兵衛はランニングを続けるようだから消毒しないよりはましだろうと思ってな。」
ゆっくり休んでいろ、と僕の髪を撫でる。それがなんだかくすぐったくて首を竦めると、先輩は少し笑ってそのまま四郎兵衛先輩の方へと行ってしまった。
その後ろ姿を視線だけで追う。四郎兵衛先輩はどうやら膝をすりむいたらしく、そこにさっきの薬草を当てている。
あれ、と思ったのは袖をまくって手当をする先輩の腕にかすかに血が滲んでいるのが見えたからだ。きっと枝で擦ったのだろう。そんなに痛みはないのか、先輩はそれに気づいている様子はない。
けれど。そう、だけれど。
気づいたときにはさっき先輩が来た方向へと、もう動かないと思っていた体が向かっていた。
四郎兵衛先輩の怪我には気づくのに、自分の事には気づかない。もしかしたら自分がそんなに簡単には傷つかないという自信があるからかもしれないが。それでも疲れているはずなのに、後輩のために薬草を探してくれる先輩なのだということを知っているのはは組の中ではきっと僕だけだと思う。僕はそのことが嬉しいんだ。
いつだって助けてくれる先輩を助けたい。この気持ちはなんだか親孝行にも似ている気もした。
「ないなぁ。」
ガサゴソと茂みを掻き分けてみるも目的のものは見当たらない。あの草は何回も見たことのあるものだったから探せばすぐに見つかると思ったのに。むぅとむくれながらもう一度地面に張り付く。
これも違うしあれも違うっぽいな。もしかしたらこの付近にはないんだろうか。もしかして、なんだか変なところに生えていたりして。こんなことだったら土井先生の授業もっとちゃんと覚えておくんだった。頬にたまってた空気がため息になって出ていく。
気を取り直したところで、ふいに頭上が暗くなった。その理由は、思い当たるよりも先にげんこつを降らせてきた。
「痛いっ。」
「痛いではないわ。この阿呆。」
「あ、滝夜叉丸先輩。」
「全く。気づいたらいなくなっているから驚いたぞ。頼むからおまえまで三之助のようにふらふらしてくれるな。」
大きくため息を吐いた先輩にふらふらしていたわけではない、とは言えなかった。目的がなかったわけでもましてや道に迷ったわけでもなかったけれど、目的の場所はわからないし目的は果たせていないしで、結果だけを見ればただふらふらしてただけなのと同じだ。
「どうしたんだ、一体。」
「……ちょっと、さがし物をしていたんです。」
「何をだ?」
手伝ってやるからと顔をのぞき込まれ、促される。けれど、素直に言う気には、なれない。
情けないこの状況を、完璧を求める先輩には言いたくはなかった。呆れられてしまいたくはない。
「金吾?」
何も言わない僕に先輩は膝をついて目を合わせてくれる。まっすぐにのぞき込んでくる先輩と僕は目を合わせられなくてじっと地面を見つめた。
「どうした?」
優しくぽんぽんて頭を撫てくれる先輩に鼻の奥がつんとしてくる。なんでいつも偉そうなのにこういう時ばっかり優しいんだろう。
「ランニングに少し疲れたのか?」
一年にはまだ辛いしな、と的外れな納得をしてしまう。僕が逃げたみたいな言い方にむっとして、違いますと否定した言葉は思ったよりも大きな声であたりに響いた。滝夜叉丸先輩は目を大きく開いた後に、そうだな、おまえが逃げる訳無いな。と、頭を軽く叩きながら優しい目をして言うから、それにつられてしまって気がついたらぽろりと言ってしまっていた。
「薬草を、探していたんです。」
「薬草?」
「滝夜叉丸先輩が腕を怪我してるから、」
「私がか?」
「そこを、」
やっぱり気がついていなかったのか腕を見回す先輩に指をさして教えてあげる。
傷口は少し乾き始めてはいたが、まだ赤々としていた。
「ああ、これか。気が付かなかった。」
「それで、だから、」
「そうか。私のために探していてくれたんだな。ありがとう。」
そう言ってぽんぽんと頭を撫でてくれる。見上げた先の先輩は、優しく笑っていて嬉しいんだけど、恥ずかしくてむずがゆい。
「だが、薬草をすぐに見つけられないようでは忍たま失格だぞ。場所を教えてやるからちゃんと覚えておけ。」
優しい顔を厳しい顔に変えながら言うなり、さっきまでの雰囲気を残さずにさっさと奥の方へと進んでいく。ちょっと呆然としていただけなのに早く来い、と怒鳴られてしまった。
先輩のためにと思って来たのに結局先輩も取りに来てしまった。その事にやはり自分の知識不足を思い知らされて少し落ち込む。けれど、教えることが好きらしい先輩の横顔は何となく楽しそうで、そのことがなんとなく気分を楽にしてくれる。
今はまだこうやって先輩に教えてもらわなければ出来ないことも多いけれど、毎日勉強していることはちょっとずつでもきっと覚えられてるはずだ。そうしたらいつかきっと先輩の手助けをするんだ。
いつもは偉そうで高飛車で、けれども本当は優しい先輩のために。