あ、
目を輝かせ、そのまま有無を言わせぬ強引さで私の腕を引いていった。
どうかしたのか、というごく当たり前の問いかけにも、行けば分かるからと楽しそうにからから笑う。冷たい空気が体中を刺す中で、君に取られた手だけが温かかった。
【想】
「ほら見て、冬桜だ。」
指さす先には名の通りに冬に咲く桜。あれが目的のものなのだろう。指し示す彼の足が桜を目にして速まった。近づくほどに姿を露わにしていくそれは、雷蔵が心躍らせたのも分かるくらいに見事だった。
程良く近くで改めてそれを眺めれば、一瞬思考を止められるほどに綺麗だった。綺麗だね、と溜息のように雷蔵が言ったのに、応と頷けば笑みを深くしたであろうことが見なくとも分かる。
周りは色を無くしていく中、それほど主張する色でも無かろうにこの木はひどく鮮やかに見えた。風が吹いていないからだろうか、その木はそのまま一枚の絵のようだ。周りは冬の訪れにふさわしく寂しくなっているのに、小振りでけれども可憐な花を枝に飾る木は、どこか悲哀を漂わせた絵の主役のようだ。
一つ無意識に漏れた溜息は、己の暗さ故だ。今更でもあるが。
雷蔵は、とちらり彼を窺い見れば、ただただその花に目を取られ息を飲んでいた。けれどその瞳は、心を奮わすものを見られる喜びで輝いている。
季節柄からだろうか。
それともこの桜のせいだろうか。
ひどく、焦燥を感じる。
ただじっとしていた時間はそれほどではないはずだが、如何せんそこそこ遠くまで使いに出てきたため、そろそろ山を抜けないと学園に着くのが遅くなってしまう。雷蔵、とひとつ名前を呼べば、その真意を正確に汲み取ったのだろう、そうだねと返事は返ってきた。けれども離れがたいのだろう、こちらを見る彼は困り顔だ。また何か悩んでいるのだろうか。たとえば学園への到着時刻とこの桜の見物時間で、とか。
「知っているか、雷蔵。」
「何をだい。」
「冬桜は二度咲くんだ。」
「へぇ、初めて知ったよ。」
そうなんだ、と再び花へと向けられた目は綻んでいる。
「春の初めの頃にもう一度咲くんだよ。より鮮やかになって。」
「じゃあその頃にまた一緒に見に来ようね。」
続けて言おうと思っていた言葉はあっさりと雷蔵に取られてしまう。ね、と深い笑みを浮かべながら伺われば、というよりもそもそも雷蔵の誘いを断るはずもなく、そうだなと返せば満足そうに雷蔵の笑みが深くなった。
「そのときには、いろいろと準備もちゃんとしてこよう。」
「そうだね。お弁当とか団子とか。」
そう遠くない未来を思って、二人で笑い合う。これで迷いがとりあえずなくなったのなら良いのだが。
「二人の秘密の穴場だな。」
「そうだね。」
二人の、のところを心なし強調してみればあっさりと認められて少々驚いた。お人好しな雷蔵のことだからまた兵助や八左ヱ門たちとも見に来ようよと言い出すかと思っていたが。いつもとの違いなんてなかったかのように、雷蔵の表情はいつも通りに見せる、笑顔。
その中に隠されたものを正確に読みとる術を俺は持ち合わせてはいないけれども、どこか寂しそうに、揺らすその瞳は、私と同じものをどこかで感じでいるからだろうか。
この桜が次により鮮やかに咲く頃には、
最後の季節が、始まってしまう。
もう、最後の、
(どう思っているのだろうか)
(何を思うのだろうか)
(雷蔵、おまえは、)
まだ分からないんだ、雷蔵。
あっという間だったこの五年を思えば残りなんて刹那に等しいものだろう。
そんなに間近に迫ってしまっている瞬間に、私はおまえに何と告げるのだろうか。
何を言っても適切で、何を言っても不適切だろう。
多くの言葉を贈れる気もしないが、一言で全てを伝える術も知らない。
どうすることが正しくて、どうすることが間違っているのだろうか。
一陣の風に地面に落ちた花びら。それは終わりを告げた季節の中でただひたすらに綺麗だった。
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