何故だろうか。
その声が幻聴だとは露にも思わなかった。
【遠い空の下】
三郎、と少し淋しそうな声が聞こえて、振り返る。けれど、一人使いに出た身であるから、どんなにその声が現実味を帯びて聞こえてきたとしても、後ろに彼がいるはずが無く、ただそこには関係も無い誰かが歩いていた。
もどかしい、というのだろうか。君が俺を呼んだならすぐに返してやれる距離でいたい。
ずっと、その距離でいたと自負している。いや、ずっと張り付くように側にいたのだから実際にそうに違いない。
初めて君が俺に話しかけてくれたあの日から。
初めの頃は君の方が俺の呼び声に敏感だった。今でもそうだ。君は人の心の機微に変なところで敏いところがある。普段はてんでぽやんぽやんで鈍いくせに。いや、そういうところも可愛くて仕様がないが。そんな君に俺はひどく救われた。それに君は気づいているのだろうか。いつも助けてもらってありがとう、と素直にいえる君よりも、本当のところでずっと、その台詞を言わなくてはならないのは俺なのだ。きっと君は笑ってなんてこと無いというのだろうけれど、それなら俺だってそうだと。この感情が根付いてしまって久しいけれども、それがこの先もずっと、続いていくことを願っていることを、この俺が、願っているのだと知ったら君はどう思うのだろうか。
(雷蔵、)
もし彼が俺を呼んでいたのなら、すぐに傍に行きたいのに、ああ、使いを早く終わらせられない自分に腹が立つ。いや、こんな使いに出させた学園長が憎い。忍務だとでも嘯けば、あの会計委員長などは喜んで行ったのだろうに。
両者の顔を思い描いて舌打ちをひとつ。いや、違った。重要なのは雷蔵が俺を呼んだかもしれないということだった。
ただ普通に走っていた街道から脇の森へと逸れて一気に走る速さを上げる。雷蔵、君は今何をしているのだろうか。俺が必要な何かがあったか。
俺はつまらない使いのつまらない帰り。けれど、この使いに出たおかげで、いくつか君に教えたいことも見つけたんだ。
君の好きそうな団子屋が新しく開いていたぞ。これまた君が迷いそうなほどに美味しそうな団子が数種類あった。土産に取り合えず餡ときな粉を買ってみたんだ。迷わなくとも済むように二本ずつちゃんと買ってきた。夜食にでも一緒に食べよう。
それに、先日一緒に市に来た時に、君が迷った挙句結局買うのをやめてしまった着物があっただろう。あれの片方が売れてしまっていたよ。だからもし今行けば迷わずに買うことが出来るかもしれない。ただ、他に君の好きそうな柄が入っていたから、また迷ってしまうかもしれない。俺としてはその新しいものの方が君には合っているんじゃあないかと思ったんだが、君はどう思うだろうか。
心で告げれば何かを返す彼が浮かぶ。何と言っているのか、思い浮かばないわけでもないが直接君の声でちゃんと教えてほしい。それに俺が思いもかけないことを言っては、驚かせてくれたり喜ばせてくれる君だから、俺の想像でしか無い君はやはり雷蔵ではないような気もする。傍にいる時間が重なれば重なるほど、本当の雷蔵に近づいていってもただそれだけだ。
嗚呼、早く帰って君に会いたい。
君に応えたい。
雷蔵、待っていてくれ。
君は、この呼び声に振り向いているだろうか。