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あとかた

二次創作の小説と日常の戯言

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呼名 呼水 君の声

ブレイブストーリー/美亘



 心にあるのは名前の分からない感情。つけられない、何か。あいつに関わるとふっと湧いて出てきてしまうそれは、途中経過をすっ飛ばしたかのようにひどく曖昧、のくせにどこまでも色鮮やかで。
 その正体を知りたい、のに知ろうとする度に逃げてしまうから。
 もう一度、
 もう一度、あの不思議な響きで俺を呼んでくれたなら、何かが分かる気がするのに。



【呼名 呼水 君の声】



「芦川、」

 ぽんぽん、と軽く叩かれた鞄。振り向かなくともそれが誰のものかは容易に知れた。
 もう聞き慣れた声、聴き馴れた呼び名。
 それなのに違和感を覚えるのはきっと最初と違うからだ。それが当然のように、以前からそうだったかのように「名」を呼ばれた最初。けれどそれを呼んだのはその時だけだ。あの時には馬鹿かと思うほどに繰り返していたのに。

 なのに、
 だから。


(馬鹿か、)

 だから、何だというんだ。
 刹那駆け巡った考えを振り払い、振り向いた先には予想に違わぬ人物が喜色満面を体現しながら立っていた。

「誕生日、だよね。今日。」
「おめでとう。」

 これからもよろしくね、と当然のように言うこいつには、よろしくしない未来などは考えもつかないのだろう。それほどに純粋に笑いながら、もう一度誕生日おめでとうと溢した。

「今日は無理だろうけどさ、今度の休みにお祝いにどこか行こうよ。」
「……、別に祝いじゃなくてもしょっちゅういろいろ行ってるだろ。」
「、そうだね。」

 僅かに何かを飲み込んだような間の後に、ひどく嬉しそうに笑った顔が目に入る。それにいろいろやってるよね、とそれ以上どうすれば崩れるんだと思えるほど笑み崩れた表情を惜しげもなく晒しながら、唱うように告げられた声もやはり嬉しそうだ。

 彼の喜んだ「いろいろ」。それの指し示すとおり、本当にたくさんのことを彼とした気がする。ボーリング、遊園地、水族館等々。
 こいつは別に脅すとかそういう力に頼ったものではないくせに、いやむしろ、だからこそ、なぜか断ることのできない強さがあった。そもそもは誰かとこんなにたくさん何かをするような関係を築くつもりはなかった。「親密」と言っても違いないような。いや、今でもないかもしれない。こいつが勝手に築いているだけだ。けれど、断ることができなかったいつかまでとは違って、積極的に、とは言えなくとも手を貸していることは事実だった。
 俺にとって「特別」とも「特例」とも言えなくもない、人物。こいつとは、出会いも何故か、特別だった。
 初対面のあの日、いきなり抱きついてきた「三谷亘」が俺に与えた衝撃は大きかった。初対面のはずのくせに、まるで昔からの友人のように震えた声で俺の名前を何度も囁いてきた。抱きついてきた体はしゃっくりをあげるように震えており、顔を押しつけられた肩口は濡れていっていることが分かった。
 泣かれていた。
 俺にはこいつが誰だか分からないのに、この少年は俺と会ったことについて泣いていた。泣く、ということは俺がこいつの感情を大きく揺らした、ということに他なら無かった。けれど、知りも知らない誰かの心を大きく動かすほどの何かをした覚えは全くなかった。
 分からないことだらけだった。
 けれど、なによりも。
 なによりも分からなかったのは自分の心境だった。普段ならこんな馴れ馴れしい接触は友人にだって許してはいない。有無を言わせずに払っていた。なのにこいつには何故かできない。「振り払う」という単語が点滅するように脳内に浮かんでは消え浮かんでは消え、そしてそれが神経に伝達されていないのか、体が拒否しているのか、行動に移されることはなかった。こいつが呼ぶ俺の名前が、ほかの誰に呼ばれるよりも大切なもののような気がした。すこし特別なように聞こえる響き。そう聞こえてしまったことも、俺を見て呼べばいいのに、と思ったこともなぜなのかが分からなかった。泣きながらよりも笑いながら、俺の名前を呼んで欲しかった。祈りにもにた願いが溢れてた。もしくはたとえて言うならば、そう。もともと刻まれていた何かが、その上に積もったものを溶かして出てきたような、そんな、
 感覚的な何かが多すぎて、理解することができなかった何か。
 けれどもそれが大事なものだと、心のどこかが叫んでいた。
 そんな、温かくも凍っていた時間。その時間を溶かしたのは妹の、お兄ちゃん?、という一言だった。
 その言葉は、この不可思議な空間を崩すのには十分で、そのことにより体と心を渦巻く何かも一緒にどこかへ行ってしまった。
 瞬く間になくなってしまったそれにより、動き始めた正気は縋りついていた体を反射的に払った。
 さっきまでは本能で受け入れていたのに今は同じそれで払ってた。
 けれどきっと正しかったのは前者だった。
 たぶん間違っていたのは後者だった。
 とっさに払ってしまった体はいとも簡単によろめいて、たぶん驚きに、濡れた瞳を瞬かせていた。弱々しく、どこか儚くも見えたそいつに、おまえ誰だ、ときっと当然だろう言葉で問うた。けれどもきっと間違いだった。
 言われたそいつはその言葉にさっと色をなくしていた。顔は白くなってしまっていて、強く噛みしめられている唇は痛そうだった。さっきまでは感情のままにこぼしていたたくさんの涙は、まだまだこぼれ落ちてきそうに見えるのに、それでももう落ちてはこなくて、見開いていた目を伏せたときに一粒流れただけだった。

「ぼくは、みたにわたる、っていうんだ。」

 目も合わされずに小さく告げてくる声。それは細かく震えていた。

「きみのなまえは、」

 なんていうの?

 さっきまでさんざん呼んでいたくせに、とは言えなかった。
 俺が自分で名前を言うのを待っているのだろう。俯いていた顔が上げられて目があった。
 その顔は笑っていた。
 けれど、笑ってはいなかった。

 そんな出会いが、俺と三谷亘との最初。

 横でどこがいいかな、とうきうきと笑っているこいつがあんな笑い方をしたなんて、幻だったんじゃないかと思うときがたまにある。けれど、こちらにまで傷みを移す笑みが、あの痛みが幻だったとは思えなかった。

「ねぇ、芦川はどこに行きたい?たまには芦川が決めたら?っていうか芦川のお祝いなんだからっ!」

 横からのぞき込むその顔に、あの日の悲しみは見えない。けれどたまにその欠片が現れていることを知っていた。
 だからといって、それ以上こいつの悲しみを深めるかもしれないことはできなかった。そもそも、あのときの何かを掴めない俺に聞く権利があるのかすら分からなかった。

「ちょっと芦川、聞いてる?」

 むくれたように問われたことには、ただ、聞いてる、とだけ。自分ですら不機嫌なように聞こえるそれでも、満足したらしく、ならちゃんと考えてよね、と念を押して笑った。
 とはいえ、そんな念を押そうが押すまいが、行きたいところなんてない。したいことも、思いつかない。こればかりはどうしようもないだろう。元からの性格だ。

「別に行きたいところなんてない。」
「そう?じゃあ、僕が勝手に決めてもいいの?」
「ああ。」
「わかった。じゃあ、芦川が気に入りそうなところを考えてくるからね!楽しみにしてて。」

 それに簡単に了承の意を示す、自分が不思議だった。そう感じることに馴れるほどに回数を重ねた、約束。
 断ろうと思えばできたはずだった。こいつは俺が本気で嫌がれば、それを無理強いするような奴ではないと知っている。
 けれど。

 ただ、なぜかこいつとの約束はなによりも、尊く大切な気がしたから。
 やっぱり、なぜかは分からないけれど。
 それでも、近づく夏休みがこいつで埋まる予感に、悪い気がしない。ほとんど無意識に出てきた笑みは、めざとい奴には当然見つかってしまった。

「なーに?どうしたの?」
「いや。もうすぐ夏休みだ、と思っただけだ。」
「そうだね。夏休みにもいっぱい遊ぼうね?」
「おまえが宿題をやるのを忘れなければな。」
「う。いいもん。芦川とするから。」

 どんな感情からか、うすく赤くなりながら尖らせた唇はすぐにちいさな笑みへと塗り変えられる。
 湿気と熱気をはらんだ風は、一歩一歩真夏へと近づいていることを告げてくる。
 この生温い風のように、本当は生温い願いがあると言えば、どんな反応をするのだろうか。欲しいものはなくとも、して、欲しいものはある。けれど、それは触れてはいけないような、むしろ触れなければならないような、曖昧な願いだと思っている。だから、言えない。言えないのはけれど、その理由からだけではなくて、きっと言えば、泣かれる気がしたから。あの色を無くした、その顔で。それともやはり我慢するのだろうか。
 それを確かめる気には、どうしてもなれなくて。今でもやはり、この願いは胸の奥にため込まれる。
 今はただ、こいつの立てる計画が単純に喜べるようならいいと、









(ミツル、)(と、ほかの誰でもない、おまえの声で、)
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